ACIM -1-
2012年 05月 07日
そのようにして(一つ前のブログ)出合った内なる神はすべての人と一体である方であり当然無宗教者でした。ですから、〇〇教とか□□教という言い方に馴染めませんでしたし、〇〇なる中に閉じ込めると自分が閉じ込められたように酸欠状態になってあっぷあっぷしたものです。30代後半に押田神父と出会えたことはとてもラッキーでした。これほど自由な宗教者はめったにいられません。神父ではあられましたが、自分が神父であるのはミサをあげるためだけと公言されてましたし、まことその信条は自由そのものでしたから、その自由さに魅かれ師の修道会には常に他宗教の方々が出入りされていたようです。
そしてまたここにACIMと出会うことができたこととても嬉しく思ってます。ここに書かれた一つ一つを肯うことができます。これまで読書会にも使用し繰り返し繰り返し読んで来た押田神父を始め秋月りょうみん氏の「般若心経の智慧」、増田早苗氏の「日本昔話の霊性」が伝えてることと同じことを言っているのですが、ただ『講座』としての形態をなしてることに特徴があるのでしょう。かつこれら三種の本を含めこれまで自由の世界に出るのにナビゲーターとしての役目を果たしてくれた幾つか本、それらを一つに纏めた結実のようにも感じています。
『講座』(コース)は、社会活動や宗教ではなく、新しい教派でもありません。むしろ一つの思考体系と呼ぶべきでしょう。それぞれの個人が、神に到達するための自分の道を見つけ、その原理を実践していくためのものです。皆さんもご存知のように、『講座』の勉強会が全国の至る所で事前発生的にでき上っていますが、私たちはいつも、権威的な組織として機能する団体を持たないことが非常に重要だと感じてきました。〈略〉ヘレンは、『講座』の中心人物はイエスか聖霊であると感じており、そのように理解されるべきだと思っていました。それは彼女にとって非常に重要なことでした。それ以外のやり方では、教会のような機構を作り上げてしまうことになり、それは『講座』の作者が最も避けたいことだったはずです。 「奇跡講座入門」p40
『講座』のことで一つ忘れてはならないことがあります。それは、このコースは天国へ到達するための唯一の道ではないと、『講座』自体が明確に述べているという点です。「教師のためのマニュアル」が最初の方で、それは何千もある普遍的コースのうちの一つの形態にすぎないと言っています。『講座』はすべての人々のためのものではありません。そうであると考えることは間違っています。すべての人々のなかでもこのコースは確かにかなり重要なものだと思いますが、すべての人々のための道ではありません。このコースが自分に適した道ではない場合には、聖霊が別の道に導いてくれるでしょう。
もしも誰かが『講座』に本当になじめなくて、『講座』と格闘したあと、自分はそれを学べなくて落第したと感じるとしたら、それは間違っています。そのようなことは、『講座』自体が教えようとしていることとは正反対のことです。このコースの目的は、人々に罪悪感を抱かせることではあいません!全くその逆です。しかし、これが自分の道だと感じられる場合は、格闘しながら進んでいくだけの価値があります。 「奇跡講座入門」p35
# by agatha_no_mori | 2012-05-07 11:32 | Comments(0)

